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【報告】村中李衣さん講演会 哀しみを得る 看取りの生き方レッスン

絵本でほっこりの会では、
講師をお招きして講演会の主催をすることがあります。

これは、頼まれてもしません。
(主催はすごく大変だから)
主催する一番大きな理由は、
自分がその方のお話を聞きたいというパッションに突き動かされるかどうか、です。
さらに、その方のお話をわたしの周りの人と分かち合いたい、というのも大きな理由です。

2023年の新年の野望に掲げていたのは、
「村中李衣さんの講演会を開催する」というものでした。

これは、2022年の秋に、北海道は剣淵町にて
村中李衣さんの『哀しみを得る 看取りの生き方レッスン』(かもがわ出版)という著作に出会ったことがきっかけとなりました。
「この本のことをお話してほしい」とお願いし、実現した講演会です。


↑受付など参加者の皆さんが率先して手伝ってくれました



当日までいろんなことがありました。
ショックだったのは、こちらの本が「買えなくなる」という出来事でした。



ところが、講演会の直前に増刷が決まり、なんと印刷所から直接、増刷ホヤホヤの『哀しみを得る』が70部届くという奇跡が起きました。

↑70冊 完売しました



『哀しみを得る』講演会を主催するにも関わらず、実は、自分自身が、身内を看取る経験もなく、「哀しみを得る」を理解できない、実体験がない、わからない、本当の言葉を持っていないという負い目、引け目を感じていました。
けれども、この本を読んだときに、絶対にこの本を必要とする人がいるということはすぐにわかったから、李衣さんにお願いして講演会を開催しようと決めました。


↑60名近い方がご参加くださいました



『哀しみを得る』がわからない、だから、というわけでもないですが、わたしは李衣さんの講演会を講師目線で聞いていました。
李衣さんは人前で話す講師としても、理想。憧れの存在です。
どうしたら、あんなふうに、人前で話せるんだろう?と いやらしいけれど、分析するような気持ちがあったことを自覚しています。


↑どうしてこの講演会を開催するのか わたしのパッションについての話


李衣さんのお話は、抽象的な概念を共有するため、その手前の具体的なエピソードの語りが、目の前でそれが起きているかのようにありありと思い浮かべることができます。
だから、抽象的な概念がストンと腑に落ちる。
目の前で起きているかのように感じられるのは、なぜなのかなとわたしなりに考えたのですが、
音、手触り、光のあたり方、匂い、色、湿度、固有名詞、言葉のイントネーションなどを丁寧に語ってくれるからだろう、と。
(固有名詞で言えば、ロゼット洗顔パスタ、アベックパン、SKKなど。これがわかるかどうかで年齢が推察できちゃう)
ときには、寸劇や昭和歌謡も織り交ぜられます。
大切な家族の最期のお別れについてのお話なので、当然、しんみりしてしまう場面もあるのですが、李衣さんご自身は、最後まで涙を見せませんでした。
しんみりしてしまうわたしたちを、ふいっとすくいあげるように、笑わせてくれました。
それでも、わたしは箱入りのティッシュを持参してよかったと思いながら、お話を聞いていました。


↑小さいピーチと大きいピーチ 李衣さんのお話




以下、完全にわたしの脳内メモ的なものを元にしているので
細部違ったり、わたしの思い込みも含まれているかもしれません。

李衣さんの2時間の講演会の構成

・前座 絵本の読みあい「みんなおなじでもみんなちがう」
・マクラ 直前に起きた具体的な体験
・幼少期の「チャリン」の思い出
・完全な丸のお話
・さらに幼少期の「バナナ」「ピーチ」の思い出
・著作『哀しみを得る』に書かれていないエピソード
・休憩 蜂の手遊び
・著作を朗読 途中に解説
・女性受刑者と絵本についてのここだけのエピソード
・「哀しみを得る」


↑笑いあり




わたしの参加した李衣さんの過去の講演会でも、まず、李衣さんは直前に起きたリアルな出来事を、マクラにお話されました。
今回で言えば、「チャリン チャリン」というお金のやりとりの音。
講演会会場で、書籍販売をしました。「チャリン チャリン」というお金の音がいい、というお話から、李衣さんの幼少期のお話をされました。
李衣さんは、お母さんと二人、お菓子屋の親戚の家に居候していた時期があるそうです。
子ども心に、一生懸命、仕事を手伝ったりして、自分の存在意義というか確保しようとされていたようです。
ちっちゃい李衣さんが聞いた「チャリン チャリン」というお金のやりとりの音と、今、聞いた「チャリン チャリン」の音。
それは、人の手からお金が渡される、人がつながって町が潤っていくような音だったな、ということをお話されました。

「チャリン チャリン」という音によって、今ここにいるわたしたちと ちっちゃい李衣さんの時代が繋がったような気がしました。
こういうことは「準備」できないことです。
その日、講演会の直前に起きたことですから。
この瞬発力、即興力、見習いたいです。





「自然界にあるもので完璧な丸はひとつしかないんだけど、なんだと思う?」と問いかけがありました。
李衣さんが生物学の先生に教えてもらったことなんだそうです。
それは、「受精卵」
誰であろうと、完璧な丸、何も欠けるところがない状態で生まれてきた。
受精した瞬間から、細胞分裂が起きて、まんまるではいられなくなる、分かれて分かれて分かれて。
こんなふうに分かれながら、そこに「おうおう」と声をかけてくれる人がいた。
そういう道を過ごしてきたというお話をしてくれました。

振り返ってみると、李衣さんは、生まれる前の受精卵から、亡くなるまで、そしてその先までをぐるっと「放物線を描くように」お話くださったんですね。



↑李衣さんが教えてくれた手遊び


李衣さんは、『哀しみを得る』を朗読し、書かれていない背景を具体的にお話してくれました。
配偶者さんの呼び名の由来、お国ことば、「誰にも言ってはいけない」李衣さんの失敗談などを織り交ぜながら、丁寧に丁寧に『哀しみを得る』を言葉にしてわたしたちに受け渡してくれるようでした。

・例えば、雪の中、何も重力がないところで初めてわたしの重力が戻ってきて泣くことができたというお話。
・例えば、先生に「何度でも」と言われたとき、「あと何回」と数えていたが、「まだ何回も」なんだなというお話。
・先生は「見事だったね」と真っ先にお母様をほめてくれた。お母様の命の中に、先生のお父様の命を重ねてくださったんだなというお話。
・相手にだけ望むのではないという関わりの基本は、養護施設、刑務所、小児病棟、お年寄りとの仕事も全部一緒なんだなというお話。
・深い関わりとは、わたしだけが準備万全に整えて、何かをしてあげることではないんだな、わたしはいつ、この先生のくださった「見事でした」という必要な言葉のように、その人たちの時間の中に入った言葉を振る舞いをできるかなというお話。





『哀しみを得る』については、明確な原因があって、結果を提示できるようなお話ではなく、とても感覚的なものなんだろうと思います。
受け取る側の受け取り力を試される部分もあるような。
だからこそ、李衣さんは、そのために言葉を尽くしてくださいました。

結果、まるで
わたしたちと李衣さんが放物線を描くような時間になったのではないかと感じました。




最後に、会場の方からご質問をいただきました。
「厳しいお母様に対してのわだかまりのようなものはなかったのでしょうか」
このご質問に対して、李衣さんは「隠していたエピソード」をお話くださいました。
それは、李衣さんのトラウマに関することでした。
そして、李衣さんの今までのお仕事につながる大事なお話でした。
「その子の声が聞こえるわたしになってしまった」
この先、李衣さんの大切なお仕事の展望についてのお話もいただきました。



李衣さんのご著書を全部読んだわけではないのですが、こんなにも李衣さんがご自身のことをさらけ出された本は出会ったことがないなあと思いました。
『哀しみを得る』を語っていただく、ということは、こういうことだったんだ。
つまり簡単に言葉にならないけれども、あの日からずっと、何かが揺れているような。
言葉にしたいけど、簡単にできないような、しちゃうともったいないような。
いや違う、どんな言葉にしても、どこか違う、という感じ。

だから現時点で書けることを書きました。





ご参加くださった皆さん、たくさん助けてくれた皆さん、ありがとうございました。
そして、わたしの願いを引き受けて、お話くださった李衣さん
本当にありがとうございました。




サイン会もお願いしました。


写真撮影は、ジグさん



いただいたご感想はこちらにご紹介しました。
https://ameblo.jp/osekkainaobasan/entry-12829648870.html





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