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『かいじゅうたちのいるところ』に行って帰ってくる物語に呼応しているもの

かいじゅうたちのいるところ
(モーリス・センダック さく じんぐうてるお やく 冨山房 1975年12月)
(『WHERE THE WILD THINGS ARE』 1963年)


なぜか、子どもの頃から、ちょっと苦手な絵です。
買いたいと思えない、手元に置いておきたいと思えない、というか。

この絵本は、ミリオンセラー絵本です。
100万部以上、発行されています。
「ミリオンぶっく2024」では、136万部。

ロングセラー絵本でもあります。
「よい絵本」と高い評価をされています。
だから、他人の評価をあてにして、買ってみました。

読んでみると、子どもたちが聴き入ってくれるのですよね。
そうか、やはり「よい絵本」なのだなと身をもって確信しました。

こんなふうに始まります。

(以下引用)
ある ばん、マックスは おおかみの ぬいぐるみを きると、いたずらを はじめて
(引用ここまで)


どんないたずらをしていると思いますか?
リアルにこれをされたら、あなたはどうするかしら。
笑える? 怒る? 卒倒する?
マックスは、本の上に乗ってます。壁に大きな釘を打ちつけてます。

次はどうなるんだろう? と次々、ページをめくらせようとする言葉の配置。
絵本は読み手にページをめくってもらわないと、物語が先に進みません。
だから、めくらせようとする作戦があざとくなく、うまくいっていると「よい絵本」と言われる可能性が上がります。

この絵本は、まさに めくりたくなる。

絵本には、「絵」と「言葉」があります。
この絵本は、次第に「絵」が「言葉」を凌駕していきます。
とうとう、「言葉」はなくなり、絵だけになるページが3見開きにもなります。
そして、次第に「言葉」が「絵」を凌駕していきます。
ついには「絵」を追い出してしまい、「言葉」だけになって終わります。

これは、マックスが「かいじゅうたちのいるところ」という想像の世界に行って、帰ってくる物語のクレッシェンドデクレッシェンドに呼応しています。

そんなことを頭で理解しなくても、子どもはちゃんと体で感じることができるのだな。

ちなみに、言葉のない3場面を、わたしは低音のウッドベースみたいに
「ボン ボン ボン ボンボボン ボン」
って歌ってます。

昔、参加した読み聞かせ会で、そんなふうに読んでいる人が、めっちゃかっこよかったので真似しています。

ところで、こちらの絵本は、別の翻訳バージョンが、これ以前、1966年に出版されています。
タイトルは『いるいるおばけがすんでいる』です。
(Mourice Sendak 原作・画 ウエザヒル翻訳委員会 訳 ウエザヒル出版社 1966年5月)
奥付には、監修委員として、ハル・ライシャワー、三島由紀夫の名前もあります。
この絵本には、「MOTHER'S BOOK 原文研究とお話しのすべて」という小冊子がついていて、監修委員による対談が写真付きで掲載されています。

こちらではこんな翻訳となっています。
(以下引用)
あたりが くらく なりました
マックスぼうやの せかいです
「こんやは なにを しようかな
おおかみごっこを してみよう」

「さあどうだ! おおかみぼうやの マックスだ!」

「まあこわい!」
おかあさんが ふるえます
びっくりぎょうてん ふるえます
「たべちゃうぞ!」
ぼうやが あまり さわぐので
とうとう ぼうやは ねどこべや
「ばんごはんも あげません!」
ぼうやは ひとりで おこります
おへやで ぷんぷん おこります

ぼうやの おへやが かわります
どんどん どんどん かわります
もりの きまでが はえました

その きが どんどん そだちます

ぼうやの おへやは もりのなか
つるくさ するする のびだして
おへやは どこにも なくなった
とうとう おへやが なくなった

こんどは うみが さんぶりこ
ぼうやも おふねで さんぶりこ
あさから ばんまで さんぶりこ
どこかの くにまで はしります

ざんぶりこっこが いっしゅうかん
ざんぶりこっこが いちねんかん
おふねは やっと つきました
おばけの くにに つきました
(引用ここまで)


こちらはこちらで、声に出して読んだとき、リズムが良いのです。

「おばけ」なのか「かいじゅう」なのか。
絵からすると「かいじゅう」の方が適訳かもしれません。

元は同じ英語なのに、翻訳でここまで違うんですねえ。
わたしは神宮輝夫さんの訳で読み慣れているのですが、こちらの絵本もどこかで手に入れられないかなあと思っています。

かねてより、神宮輝夫さんの訳で、1か所だけ、違和感を覚えるところがあります。

それは
(以下引用)
1ねんと1にち こうかいすると
(引用ここまで)


この「こうかい」を耳から音として聞いたとき、子どもはすぐに「航海」の意味として取るだろうか。
わたしはつい「後悔」と変換しそうになります。
(いつも「後悔」ばかりしているので)

子どもの本にある言葉は、ひらいてあることが多く、熟語が使われていると、わたしは違和感を覚えるのだなと気づきました。

「こうかい」の部分を、先にご紹介したウエザビル出版社の訳だと
「どこかのくにまではしります」
「おふねはやっとつきました
おばけのくににつきました」
としてますね。
「はしる」「つく」とひらいてますね。

ところが、神宮輝夫さんは、あえて「こうかい」と訳したそうです。
「航海」と「後悔」と二重の意味に受け取れる「こうかい」を選んだのですね。
子どもにすぐに理解できる言葉だけを使うのではなく、成長してから、時差で気づく喜びが生まれるかもしれませんね。


かいじゅうたちのいるところ
(モーリス・センダック さく じんぐうてるお やく 冨山房 1975年12月)

インスタグラムでも『かいじゅうたちのいるところ』ご紹介しています

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