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柔らかさ 冷たさ 暗さ 匂い 風圧 流れ わからない世界に引き摺り込まれていく『ぼくのふとんはうみでできている』
『ぼくのふとんはうみでできている』
(ミロコマチコ あかね書房 2013年7月)
わたしは絵本を買うと、まずはカバーを外してしまいます。
ところが、この絵本は、カバーを外すことができません。
なぜなら、カバーと絵本の表紙の絵が違うからです。
そのため、読む直前に、見せびらかしながら、カバーを外して、読み始めます。
先日、障害者支援施設でこの絵本を読みました。
別に、いつ読んでもいい絵本だとは思いますが、なんとなく暑くなってくると、読みたくなる絵本です。
大人になると、こどもの頃の、脈絡のなさとか、奇抜さとか、奇想天外とか、意味不明の発想とか、どこかに置いてきちゃいます。
そういうものを持っていない方が、健全な大人の社会生活を送れるように仕向けられてきちゃった気がします。人のせいにしていますが。
そのため、大人になってもなお、こどもの頃の、脈絡のなさ、奇想天外、奇抜、意味不明をありありと提示されると、楔を打ち込まれたような気分になります。
ああああああ。
ああああああ。
こういう感じ。
かつてこどもだったわたしは、もしかしたらなんの違和感もなく、楽しめたかもー。
ミロコマチコさんの絵本には、もしかしたら、かつて自分が持っていたかもしれない、原始的な何か、理解とか因果関係とかを超えた何かを感じます。
必死でついていこうとする自分。
わからないんだけど。
でも、これきっと、わからない自分は劣化してるんじゃないか。
この原始的な何か、言葉で説明できないものは、実はすごく大切なものなんじゃないか。
そんな焦燥感を抱えながら、声に出して読みます。
あー、意味不明。
まず、タイトルを見て、わたしは(おねしょの絵本だろ)と当たりをつけました。
ところが、ぜんぜん違う。
予想の遥か上を
これでもか
これでもか
と
裏切り続ける。
それを必死でついていく。
そうきたか
そうきたか
そうきたか
そんな物語の展開です。
海→貝→猫→パン→食べちゃう→ゾウ→海→波→ワニ→猫
脈絡がないようなあるような展開。
夜朝夜朝夜朝
暗い明るい暗い明るい暗い明るい
リズムも良い。
という言葉は
声に出しても
耳で聞いても
心地いい。
そしてこの絵本は
柔らかさ
冷たさ
暗さ
匂い
風圧
流れ
などを感じる。
何?
これ。
リズムがいいんだけど、意味がわからない。
わからない世界に引き摺り込まれていく。
えー。
いいのこれ。
そう思いながら、読む人をやっている。
だって、引きずり込む人を、この絵本にある言葉を声に出して読むことでできちゃう快感を味わえるから。
どんな絵本か、全く説明できない。
したくない。
読んでみて欲しいです。
よくほら、「五感を刺激する絵本」みたいなこと
言うけど
まさにそれ。
簡単じゃないと思います、だって、紙の束なんだから、絵本は。
わたしが危惧するのは、
ミロコマチコが
「絵本という枠に収まりきれない芸術家である」ってこと。
あんまりアートで
あんまり奇想天外で
あんまりオシャレだと
大人は喜ぶかもしれないけど
それ、子ども喜ぶ?
っていう疑惑。
そのギリギリの淵のこっち側にあって、成功している絵本だとわたしは思います。
『ぼくのふとんはうみでできている』
(ミロコマチコ あかね書房 2013年7月)
インスタグラムでも『ぼくのふとんはうみでできている』ご紹介しています
(ミロコマチコ あかね書房 2013年7月)
わたしは絵本を買うと、まずはカバーを外してしまいます。
ところが、この絵本は、カバーを外すことができません。
なぜなら、カバーと絵本の表紙の絵が違うからです。
そのため、読む直前に、見せびらかしながら、カバーを外して、読み始めます。
先日、障害者支援施設でこの絵本を読みました。
別に、いつ読んでもいい絵本だとは思いますが、なんとなく暑くなってくると、読みたくなる絵本です。
大人になると、こどもの頃の、脈絡のなさとか、奇抜さとか、奇想天外とか、意味不明の発想とか、どこかに置いてきちゃいます。
そういうものを持っていない方が、健全な大人の社会生活を送れるように仕向けられてきちゃった気がします。人のせいにしていますが。
そのため、大人になってもなお、こどもの頃の、脈絡のなさ、奇想天外、奇抜、意味不明をありありと提示されると、楔を打ち込まれたような気分になります。
ああああああ。
ああああああ。
こういう感じ。
かつてこどもだったわたしは、もしかしたらなんの違和感もなく、楽しめたかもー。
ミロコマチコさんの絵本には、もしかしたら、かつて自分が持っていたかもしれない、原始的な何か、理解とか因果関係とかを超えた何かを感じます。
必死でついていこうとする自分。
わからないんだけど。
でも、これきっと、わからない自分は劣化してるんじゃないか。
この原始的な何か、言葉で説明できないものは、実はすごく大切なものなんじゃないか。
そんな焦燥感を抱えながら、声に出して読みます。
あー、意味不明。
(以下引用)
ぐう ぐう ぐう そう ぞう ぞう
ぐう ぐう ぐう ザーン ザーン
(引用ここまで)
まず、タイトルを見て、わたしは(おねしょの絵本だろ)と当たりをつけました。
ところが、ぜんぜん違う。
予想の遥か上を
これでもか
これでもか
と
裏切り続ける。
それを必死でついていく。
そうきたか
そうきたか
そうきたか
そんな物語の展開です。
海→貝→猫→パン→食べちゃう→ゾウ→海→波→ワニ→猫
脈絡がないようなあるような展開。
夜朝夜朝夜朝
暗い明るい暗い明るい暗い明るい
リズムも良い。
「ザーン ザーン ぐう ぐう ぐう
ザーン ザーン ぐう ぐう ぐう」
という言葉は
声に出しても
耳で聞いても
心地いい。
そしてこの絵本は
柔らかさ
冷たさ
暗さ
匂い
風圧
流れ
などを感じる。
何?
これ。
リズムがいいんだけど、意味がわからない。
わからない世界に引き摺り込まれていく。
えー。
いいのこれ。
そう思いながら、読む人をやっている。
だって、引きずり込む人を、この絵本にある言葉を声に出して読むことでできちゃう快感を味わえるから。
どんな絵本か、全く説明できない。
したくない。
読んでみて欲しいです。
よくほら、「五感を刺激する絵本」みたいなこと
言うけど
まさにそれ。
簡単じゃないと思います、だって、紙の束なんだから、絵本は。
わたしが危惧するのは、
ミロコマチコが
「絵本という枠に収まりきれない芸術家である」ってこと。
あんまりアートで
あんまり奇想天外で
あんまりオシャレだと
大人は喜ぶかもしれないけど
それ、子ども喜ぶ?
っていう疑惑。
そのギリギリの淵のこっち側にあって、成功している絵本だとわたしは思います。
『ぼくのふとんはうみでできている』
(ミロコマチコ あかね書房 2013年7月)
インスタグラムでも『ぼくのふとんはうみでできている』ご紹介しています