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親が勝手に、無自覚に、子どもの世界の範囲を狭めるな 『太陽へ飛ぶ矢』

太陽へ飛ぶ矢 インディアンにつたわるおはなし
(ジェラルド マクダーモット さく じんぐうてるお やく ほるぷ出版 1975年11月)


実は、この絵本、わたしにとって特別な絵本です。
何が特別かというと、絵本なんか全然読んでなかったわたしが、手のひらを返すように絵本の世界に引っ張り込まれたきっかけとなった2冊の絵本のうちの1冊、なんです。

もう1冊のことは、よく話をするのですが、こちらの絵本のことは、あまり話をしていないかもしれません。

2002年のことです。
初めてこの絵本を読んでもらって、貧弱なふわふわしたお花畑的な「絵本」の概念しか持っていなかった当時のわたしは、驚愕しました。
こんな絵本があるんだ。

黒?
絵本で、黒? そして、オレンジ。
図案化されたようなシンボルのような絵。
壮大な神話的なストーリー。

ええええ〜!?
こんな絵本、子どもが喜ぶの?!

こんなふうに始まります。


(以下引用)
むかし、たいようのかみは
ほとばしる いのちの ちからを
いっぽんの やにかえ
だいちに むかって とばした。
(引用ここまで)




見開きに、真っ黒のバック。
オレンジの濃淡で、四角と丸を組み合わせて図案化したような絵。
「ほとばしる いのちの ちから」が描かれています。

太陽の命の矢は、一人の娘に当たり、男の子が生まれます。
男の子は、村のこどもたちに仲間外れにされます。


(以下引用)
「おまえ、おとうさんがいるかい?」
(中略)
「やあい、おやなしご! おやなしご!」
(引用ここまで)



そこで、男の子は、お父さんを探しに行きます。
とうもろこし作り、壺作りに聞きますが、何も答えてもらえません。
矢作りのところに行きます。
矢作りは、男の子が太陽の神の子どもだとすぐに見抜きます。
そこで、男の子を矢に変えて、太陽の神のところへ飛ばします。
それが、絵でも表現されています。

お父さんである太陽の神は、男の子に4つの試練を与えます。
この試練をくぐり抜ける場面は、言葉はありません。
図案化されたような絵で、試練前後が表現されます。
試練を終えた男の子は、明らかに、変化しています。
それはもう、図案化された絵の色使いからして明確です。
今まで使われていない色が使われています。
男の子は、再び矢になり、大地へ戻ります。
村人たちは、太陽の息子を迎え、命の踊りを踊ります。
よく見ると、母と太陽である父が向かい合っているのかな、村人は、先程の試練に関わりがあるような図案がほどこされています。

一人の少年の行きて帰りし物語。
試練を得て、それを乗り越え、強くなって帰ってくる。
図案化された絵から、いろんな暗示を受け取れるかもしれません。

わたしは、こんな絵本を子どもが喜ぶなんて、思いもしませんでした。
きっと、図書館にあっても、本屋さんにあっても、自分からは決して手に取って開いて中を見ることすらしなかったでしょう。

でも、読んでもらって、驚き、試しに当時4歳だった長男に読みました。
そうしたら、ものすごく気に入ったんです。
何度も何度も繰り返し読まされました。

こどもの理解力、感受性、精神性、バカにしてたんだと思います。
舐めてたんだと思います。
親が勝手に、無自覚に、彼の世界の範囲を狭めてた。

長男が、この物語を心から楽しむ姿から、(ああ、いい絵本なんだな)と彼に教えてもらいました。

だからわたしは、この絵本が、好きになりました。

でも、いわゆる子どもたちへの読み聞かせボランティアでは、この絵本は選びません。訳あって。

大人の人には読みました。
定期的にお邪魔している障害者支援施設 足柄療護園の通所サービス利用者さんとこの絵本を楽しみました。

こちらの翻訳も神宮輝夫さんですね。
一文が短く、明快で、わかりやすく、声に出して読みやすい日本語です。
こちらも↓
『かいじゅうたちのいるところ』に行って帰ってくる物語に呼応しているもの




「ほとばしる」
「ひょう!」(太陽まで飛ぶときの音)
という言葉が特にわたしのお気に入りです。



太陽へ飛ぶ矢 インディアンにつたわるおはなし
(ジェラルド マクダーモット さく じんぐうてるお やく ほるぷ出版 1975年11月)


インスタグラムでも『太陽へ飛ぶ矢 インディアンにつたわるおはなし』ご紹介しています




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