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どんなに時が経とうとも「すこしむかし」そして「いまも」『まちんと』

まちんと
(松谷みよ子 文 司修 絵 偕成社 1978年2月初版 1983年8月改訂)


「まちんと」とは、「もうちっと」「まちっと」という広島の方言を、小さな子が言ったものです。
わからないかもな〜と思いつつ、わたしは、あえて説明せずに読み始めます。

この絵本の主人公は、もうじき3歳になる女の子です。

原爆を落とされ、トマトをもっとちょうだいと欲しがり、苦しみながら、死んでいきました。
その女の子は、鳥になり、今もそこに飛んでいるそうです。

司修さんの描く扉絵の女の子の目力と言ったら、とても3歳前の女の子とは思えません。
もしかしたら、生きていたら、まちんと生きていたら、こんな女の子に成長したかもしれない、という絵なのかもしれません。
その表情は、怒りとも悲しみとも諦めとも違うような、強い力を感じます。
「伝えろよ」
「忘れるなよ」
かな。

始まりは、こんなふうです。


(以下引用)
すこし むかし
ちいさな子が
(引用ここまで)




「すこし むかし」

この絵本は、1945年8月6日に原爆が落とされてから33年目に生まれました。

2024年で79年です。

すこし むかし とも言えるし、
ずっと むかし とも言える。

どんなに時が経とうとも、この絵本は、いつでも
「すこし むかし」と始まる。

そして、


(以下引用)
そうして いまがいまも
まちんと まちんとと
なきながら
とんでいるのだと

ほら そこにー

いまもー
(引用ここまで)




「いまも」とわたしたちに引き渡して終わる。

カバーのそでに作者 松谷みよ子さんの言葉があります。


(以下引用)
戦争を語りつぐということは説明することではないのだと。ともすれば私たちは説明し、教えようとしているのではないでしょうか。実感の重みこそ求められているのに。
(引用ここまで)




説明ではなく、実感の重みを絵本で表現する、ということが簡単なことではないことは想像できます。

司修さんは、松谷みよ子さんと広島を取材し、1年かけて絵を描き上げました。
ところがその絵を全部、また描き変えたそうです。
「この絵本は一生描きつづけたい」と言われたそうです。

原子爆弾を描く。

原子爆弾が落とされる前。
落とされる瞬間。
スローモーション。
炎。
燃える原爆ドーム。
炎の中の親子。
黒い雨。
苦しむ女の子。
トマトを探すお母さん。
鳥になった女の子。
いまも。

これを「実感の重み」として描くこと。

大変なお仕事だと思います。

なんでもないときに、フラッといい加減には読めません。
けれども、ちゃんと、「いまも」につながる「いま」
読みたいと思います。


まちんと
(松谷みよ子 文 司修 絵 偕成社 1978年2月初版 1983年8月改訂)



インスタグラムでも『まちんと』ご紹介しています

「まちんと」を読み続けようと誓ったある出来事について喋ってます

松谷みよ子さんの「本と人形の家」に行った日のこと

読み続けようと誓った日のこと

松谷みよ子さんの魂と共にいたこと

松谷みよ子さんのお別れの会でお手紙を読んでもらったこと


松谷みよ子さんの長女 たくみさんと。






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