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わたしがわたしの声で目の前の子どもを全肯定『みんながおしえてくれました』

みんながおしえてくれました
(五味太郎 絵本館 1983年10月)



主人公のこの子は、
生きるために必要なあれこれを
みんなに教えてもらいます。

歩き方、飛び越え方、登り方、走り方、といったやり方だけでなく、

土の上や中の秘密、夜のことなども教えてもらいます。

繰り返しの中に、五味さんらしい、クスッと笑えるユーモアがチラリと顔をのぞかせます。

この絵本では、
「*** は %% が おしえてくれました」

「*** は %% に おしえてもらいました」
という2種類の言い方があります。

大人の人に読んだら、
「なんか意味があるのかしら?」と疑問を持たれました。

なんか意味があるのかしら?

「がおしえてくれました」
「におしえてもらいました」
そんなに違いがないような気がするけれども。

後者の方が、自発的? 積極的? 自分から学びにいってる感じ? 気のせいかな?

あえて書き分けているのかな?
意味はないのかな?
ただのリズムかな。

まあ、とにかく、子どもたちはいろんなことを教えてもらって、いろんなことができるようになったり、知ったり、分かったり、考えたりしながら、良い方へ良い方へ、伸びていこうとしているんだという全肯定な軽やかさをわたしは感じます。

絵本に書いてある言葉を自分の声で届けるということは、どんな絵本を選ぶかというのはすごく大切なことなんだと思います。

ちゃんと勉強しろよという押し付けもなく。
そういうもんなんだという信頼というか。
あえての「りっぱなひとに なるわけです」という言い切りが、五味さんらしいな〜って思いました。

絵本の中で、子どもが自分のことを「りっぱなひとに なるわけです」って言い切っているの、面白いな。

五味太郎さんの考え方は、この本の中にも見え隠れします。

大人問題』 (五味太郎 講談社文庫)



(以下引用)
ぼくは子どもをとらえる時に、「新人」「ルーキー」という言葉でとらえるのが好きです。
彼ら新人、ルーキーをずっと見ていると、なんかとても楽しいのです。
自分もそうだったんだけど、「こいつ、これから何をするんだろうか」という感じの楽しさ。
あるいは「いつ化けるかな」という一種の緊張感。
そういう見方、とらえ方、つき合い方、この社会にはあまりにも少ない気がします。
(引用ここまで)




「ルーキー」なんだ、と。
「新人」なんだ、と。

こういう子どもを面白がる目線が、絵本の中にも垣間見える気がします。

子どもと一緒に読むのいいな。

「あなたは、りっぱな人になるわけです」とわたしがわたしの声で目の前の子どもを全肯定しているのと同じなんじゃないかな。

加えて、大人になっても、「みんながおしえてくれました」ってことはありますね。

大人になったから、ゴールではななくて、教えてもらわなくちゃわからないことがまだまだこんなにもあるんだと思い知る出来事がありました。
自分一人では気づけないことは、こんなにたくさんあるんだなあ。

みんながおしえてくれました
(五味太郎 絵本館 1983年10月)



インスタグラムでも『みんながおしえてくれました』ご紹介しています



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