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おすすめ絵本

コンチのお母さんみたいになれたらなあ『こぎつねコンチ』

絵本じゃなくて
読み物
なんですかね。

中川李枝子さん
山脇百合子さん
 
このお二人の作者の
けっこう有名な例のねずみの絵本
あるじゃないですか
 
もちろん、あのねずみの絵本も
良いんですけどね。

お二人の作品として、わたしはこちらがいちばん好きかもしれません。
 
このお二人の作品だったら
こっちに出会わなくて
どーすんの?
と鼻息荒くなっちゃう。
 
こぎつねコンチ
(中川李枝子作 山脇百合子絵 のら書店 1987年4月)
(初出『子ぎつねコンチとおかあさん』1971年 講談社刊)



  
12の短いお話。
多分、4月から3月までの
こぎつねコンチとお母さんの物語。
モノクロの挿絵がふんだんに。
 
良いなあと思うポイントは
コンチの子どもらしさが
具体的で
説得力があって
「あるある」
「わかる! わかる!」
と共感してしまうところ。
 
例えば、
つるつるのかたちのいい石を拾う
長い棒を拾う
それは宝物。


↑拾い集められた宝物(タイル)

 
そしてまた、いいなあと思うのは
その宝物を母の日のプレゼントにしようとする
コンチに対して
お友だちのつねこちゃんが
「あら、石ころなんて ひどい」

冷静に批判するところ。
 
こういうの「あるある」だなあと。
 
さらに。
 
母の日のプレゼントとして、そのコンチの宝物である 石と棒 をもらったコンチのお母さんが、もしも。
もしもですよ。
 
「なにこの石! また石を拾ってきたの! 汚い!」
 
という反応だったとしたら
コンチの「お母さんを喜ばせてあげよう」という気持ちは
見事に
プシューとしぼんでしまうわけですよね。
 
ところが。
 
コンチのお母さんは
石ほしい?と聞かれて
「ええ、ほしいわ、かぜで テーブルかけが とびそうなのよ。」
 
枝もほしい?と聞かれると
「ちょうど これぐらいのえだが ほしかったのよ。」
と言って
コンチの毛布をその枝に干すのですよ。
 
「神対応」でしょう?
 
これが
(子どもを喜ばせよう)というあざとさをちっとも感じさせず
心からの言葉のように聞こえるんですよ。
実際、そうなんだろうと思います。
 
ああ。
理想のお母さんだ、と思います。
 
いつもは無理かもしれない。
いや、遠く及ばない。
 
だけど
わたしの理想は
「コンチのお母さん」
 
コンチのお母さんみたいになれたらなあ。
「いいなあ」
そんなモデルなんです。

少なくとも、この物語を声に出して読んでいるときは、わたしも神対応の擬似体験ができる。

  
また、読み返して気づいたこと。
 
コンチは
「おかあさん、おかあさん」
って2回繰り返すのね。
 
しょっちゅう
「おかあさん、おかあさん」って言うのよ。
 
たまに
「おとうさん、おとうさん」もあるけど。
 
 
「おかあさん、おかあさん」
「おかあさん、おかあさん」
「おかあさん、おかあさん」
「おかあさん、おかあさん」
って
どんだけ言われたかしらねえ、あの頃。
 
正直「うるさい」と
思うときもあったけど(笑)
 
いちばん、
「おかあさん、おかあさん」って呼ばれる時期だったのかしらねえ。
 
あとね。
春夏秋冬、季節を楽しむ様子が描かれているのも良いなあと思います。
 
大勢の前での読み聞かせ
ではなくて
1対1で
親子で読んでほしいなあ。
 
一家に1冊必携の書です(断言)
鳥肌が立つくらい好き
激推しです
 
ポケットてさげ
最高!


こぎつねコンチ
(中川李枝子作 山脇百合子絵 のら書店 1987年4月)


インスタグラムでもご紹介しました




追悼 中川李枝子さん 『ぐりとぐら』でびっくりしたことと妄想


目次

元のお話『たまご』

この絵本は、福音館書店の月刊絵本「こどものとも」の1963年12月号として誕生しました。

絵本になる前に、前身の「お話」があります。
それは、同じく福音館書店の雑誌「母の友」1963年6月号に掲載された『たまご』というお話です。

余談ですが、わたしはこの元のお話を読んでみたいと思って、地元の図書館にリクエストしました。
すると、回答は「国立国会図書館にしかない。貸し出しはしてもらえないが、遠隔複写サービスがある。利用してみては」というものでした。
インターネットから、国立国会図書館に、遠隔複写申し込みをし、指定の料金を払うと、該当箇所が複写されて郵送してもらえます。
(当時支払った額 4枚×25円+発送事務手数料250円+消費税35円+送料140円=525円)

そうして手に入れた、元の『たまご』というお話を読んで、驚きました。

『たまご』というタイトルの前にこんな言葉が書いてありました。



(以下引用)
三歳の子どもに聞かせる話
(引用ここまで)


「三歳の」! 限定!?
そんなにはっきり言い切っちゃうんだ!
驚いた!

わたしは勝手に、このお話は4歳か5歳くらいの子どもを想定して書かれたのかなと思っていました。
それは、このお話が生まれた背景を考えてそう思っていたのですが。
3歳なんだ〜



絵本との違いがいくつかあります。

元のお話『たまご』は、A5サイズでたった3ページです。縦書きです。

テキストの周りに、大村百合子さんの挿絵がちっちゃく描かれています。
2匹が石を持って卵を割ろうとしている絵がある! これは絵本にはないですね。

テキストは、今の絵本とほぼほぼ同じです。ほとんどこのまま絵本になった感じです。

違うのは、ぐりとぐらの名前がカタカナで「グリ」と「グラ」なこと。

グリの言葉遣いが2箇所違いますね。



(以下引用)
やあ、なんてでっかいたまごだろう。
(引用ここまで)



絵本では、「でっかい」を「おおきい」と変えてあります。


(以下引用)
あさからばんまでたべていても、まだのこるぐらいの、大きいカステラができるぜ。
(引用ここまで)



「できるぜ」かあ。
絵本では「できるよ」になってます。
「できるぜ」も、なんかいいなあ。

絵本のことばに変えたことで、より多くの人に受け入れられるようになったのかもしれません。

あと大きく違うのがラストです。
元のお話では、こうあります。

(以下引用)
さあ、このカラで、グリとグラはなをにつくったとおもいますか。
くるまを四つつけて、じどうしゃをつくりましたとさ。
(引用ここまで・原文ママ)



引用してて誤植を見つけてしまいました。
誤 なをにつくった
正 なにをつくった

ラストは、絵本ではテキストはカットして、絵で描いたのですね。



わたしが驚いたのは、この元の『たまご』というお話が6月号に掲載されて、そのたった半年後、12月号には、絵本として誕生しているということです。
そのスピード感。

福音館書店の当時の編集者 松居直さんは、この『たまご』を読んで、パーーーーーーっと絵本の姿が思い浮かんだそうです。

当時、大学生だった大村百合子さんは躊躇したそうです。

『ぼくらのなまえはぐりとぐら 絵本「ぐりとぐら」のすべて』(福音館書店 「母の友」編集部)より



(以下引用)
絵本など描いたことがないと躊躇する大村さんを、なんとか口説きおとすことができました。
(引用ここまで)


あの!
あの!
松居直さんに口説かれたらもうあなた。

落ちるでしょう。
(妄想炸裂)

松居直さん、当時37歳くらい。
大村百合子さん、当時21歳くらい。

「君の、あの、絵が必要なんだ」
「お姉さんのお話に、絵を描いてくれないか」
「うまくいかないはずはないんだ。ぼくには わかる」
(妄想ここまで)



『ぼくらのなまえはぐりとぐら 絵本「ぐりとぐら」のすべて』(福音館書店 「母の友」編集部)より



(以下引用)
仕事が進むにつれて、考えこんだり、迷って筆が止まったり、ときには筆が進みすぎて、それ以上描き込んでは文字が入らないとストップをかけたり、出来上がった原画のある部分や色を話し合いの上で取ったりといったこともしましたが、原作にピタリと合ったほんとうに楽しいさし絵ができました。
(引用ここまで)




数年前、平塚市美術館で『ぐりとぐら』の原画を見て驚いたことがあります。2つ。

1つは、卵がピンク色だったこと。
「ピンクだ!」とびっくりしました。

今の絵本の白い卵に見慣れていたので、ピンクの卵に違和感がありました。
やっぱり、白で良かったと思います。
色をとったとあるのは、ここのことかなと思いました。

もう一つは、原画にはない絵があったこと。
卵の運び方を相談している場面だったと思いますが、見開きの真ん中にもう1パターン描いてあったと記憶しています。
(記憶違いかも)

この絵も話し合いで、カットしたのかな。

松居さんが編集者として、的確にアドバイスをし、そして絵本という形になったのですね。


奇跡の5人

元のお話『たまご』はモノクロでした。
『たまご』に登場する動物の絵はモノクロの図鑑を見て描いたそうです。

絵本になると、色をつけなくちゃいけない。
それで、大村百合子さんは困った。

(以下、上甲の妄想を含みます)

当時、福音館書店の編集者 松居直さんのご自宅には一人の青年が居候していました。
薮内正幸さんです。
当時23歳くらいかな。

藪内正幸さんは、子どもの頃から動物が好きでした。
動物園のライオンの檻の前で一日中過ごし、観察するような子どもでした。
図鑑に名前がある学者さんに手紙を書いて質問したりするような少年でした。
それで、国立科学博物館の今泉吉典先生にも可愛がられていたんでしょう。
動物への熱意、見込まれていたんだと思います。

だから、動物図鑑を作りたかった若かりし松居直さんが、今泉吉典先生に「誰か動物の絵を描ける人を知りませんか?」と聞いたとき、薮内さんからの年賀状を見せて、「まだ高校生だけど、こんな子がいる」と推薦したんでしょう。
それで松居さんは薮内さんを大阪まで迎えに行った。

当時28歳、保母(保育士)として働き、3歳の男の子の母でもあり、お話も書く人 中川李枝子さんと
その妹で22歳の大村百合子さん。
お二人、キラッキラしてたんじゃないかなって想像します。

「どうしようかしら、松居さんに絵本の絵を描いてと言われちゃったんだけど、ねずみに色をつけなくちゃいけないわ」とかなんとか言ってる。

それを聞きつけた薮内青年が「俺、いい人知ってるぜ。連れて行ってあげるよ」とかなんとか言って、今泉吉典先生の研究室へ若かりし姉妹を得意げに連れて行ったんでしょう(←妄想)

すると、今泉先生は、なんとネズミの研究者で、たくさんの小さな引き出しにネズミの標本が入ってる。
「どれでも好きなの見ていいよ」とか言われて
「わ〜」なんて言いながら姉妹がネズミの標本を見る。

するとそこにオレンジ色のネズミの標本がある。
「あら。ネズミってネズミ色だけかと思ったけど、オレンジ色のネズミもいるのね」とかなんとか言って

それでぐりとぐらは、あの色になった!

想像してみてください。
もしも、ぐりとぐらがネズミ色だったら・・・

こんなに売れなかった かもしれない。
あの色だったから、今がある のかもしれない。

だからわたしは
作者のお二人、中川李枝子さん、大村百合子さん、
そして、松居直さん、
薮内正幸さん、
今泉吉典さん
この奇跡の5人の奇跡の出会いがあって、あの『ぐりとぐら』は生まれたと思うと一人で勝手にあれこれ妄想してコーフンしちゃうんですよ。

もしも。

もしも、大村百合子さんが、どうしても描かない、描けないと躊躇し続けた場合、
「じゃあ、薮内くん、代わりに描いてよ」みたいなことになったのか、ならなかったのか。(なるわけないか)
もしも、薮内正幸さんの絵で『ぐりとぐら』が描かれたとしたらどんな感じになっていたのか・・・
妄想は止まることを知らず・・・



『ぐりとぐら』については、まだ、書きたいことがあります。
それはまた今度書けたらと思います。

中川李枝子さんといえば、わたしが一番好きな作品についても、書きたいなと思います。



  

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