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【報告】瑞雲舎 井上みほ子さん講演会 編集者として紙の本を生み出す人のお話
2025年4月20日に主催した井上みほ子さんの講演会のことを書きます。
井上みほ子さんは瑞雲舎という児童書出版社の代表取締役です。
わたしが小田原で主催するのは3回目です。
今回は、広い会場が取れず、早々に満員御礼となりました。
無理やり増席してギリギリマックスでの開催でした。
キャンセル待ちしている方もいらっしゃいましたが、本当に誰一人キャンセルせず、熱気ムンムン、聞く気満々での開催となりました。

事前に、瑞雲舎の絵本の購入希望を募りまして、プラスアルファで50冊近く送ってもらっていたのですが、
華麗なる完売。
全然、足りなかった!
もっと多めに送ってもらえばよかったです。
そうだった、そうだった、井上みほ子さんは危険な人だったんだ。
お話を聞くと、どんどん絵本を買いたくなる危険な人。
どんどんどんどん絵本を買いたくなる。
そりゃあ、どこででも買えます。
その場でネットでポチッと買えます。
でも、今、ここで、買いたいんです。
このアツい気持ちのときに、買いたいんです。
すごくよくわかります。
申し訳ないけど、わたしも自分の分はキープしてました。
6冊。買いました。
1冊は、欲しいという方にお譲りしましたが、他のは、無理。
わたしの絵本。
今ここで欲しい。
井上さんのあの話を聞いたら、そうなるよね。
冒頭、井上さんは、やなせたかしさんの詩を2篇朗読してくださいました。
瑞雲舎のために作ってくれたこちらの本。
『あれはだれの歌』(やなせたかし 瑞雲舎 2005年12月)
アンパンマンでブレイクする前の作品です。
この中に収められている
「えらくなっちゃいけない」と「てのひらを太陽に」
もう、ここでわたしはグッときてまして、堪えてました。
何に、かはわかりません。
わかりませんが、込み上げてくる何かがありました。
「てのひらを太陽に」は歌いますよね。
歌として、歌っているときと、詩として朗読されて耳で聴くときでは、伝わるものが違うんだということがわかりました。
わたしは、好きなアーティストはCDを買います。
サブスクでも聞けるのですが、CDを買います。
なんでかって、歌詞カードがついているからです。
歌詞カードを読むのが好きなのです。
歌として聴くときは、メロディとして聞いてしまうのですが
歌詞カードを読むと、言葉をより深く味わえる気がするのです。
それに似てるかもって思いました。
歌としてではなく、詩として、言葉を味わう楽しさ。
この本は、カバーの袖のところに、やなせたかしさんの自筆の言葉が載っています。
「やなせたかしのエキスでアンパンマンの血液」
ですよ。
朝ドラ「あんぱん」と共におすすめの本です。
ちなみに、井上夫妻の結婚式の主賓だったそうですよ、やなせたかしさん。
冒頭に、なんだかノックアウトされたような気分になりました。
そこからもう畳み掛けるように、みほ子節が炸裂していき。
わたしが、今回、井上みほ子さんの講演会を企画したのは、とある展示の裏側のエピソードを聞きたかったからです。
自分一人で聞くんじゃなくて、わたしの周りの皆さんと一緒に聞きたいと思ったからです。
これはやっぱり、ここには書けないことでした。
井上みほ子さんは、お墓まで持っていくつもりだったそうです。

いただいたご感想を一部抜粋でご紹介します。
井上みほ子さんのお話、様々な方とのやり取りがギュッと詰まっていてあっという間に時間が過ぎていました。
やなせさんとのエピソード。「詩とメルヘン」の読者だった私には堪らないお話
大人と子どもの関係を『小僧の神様』と『ちいさなメリーゴーランド』で話された時、なぜか一番ぐっと来ました。
こういう大人になりたい!なっていない…これからでもなりたい!
日米の違いについての指摘もハッとさせられました。
「ありがとう」を子どもに言う機会を設けている、"察する文化"と"言わないと伝わらない"の違い、深い洞察力に感服でした。
広島の本屋さんでの話、店主の「お母さんが読んでください」文字を読んで聴くと言葉が立ち上がる(表現曖昧ですが大事な点)
本という「もの」で残す、「べらぼう」で里見浩太朗も言ってました。
私の仕事上(園文庫)、幼い子と保護者に接することが多いので今後も自信持って「ぜひ大人が読んであげてくださいね」と絵本を手渡そうと思いました。
上甲さん、いつも貴重な企画をありがとうございます。
おふたりに共通するのはきちんと想いを言語化出来るお力だと思います。
少しでもそうなりたいと思いました。
長野からご参加の清水 智恵子さんより
ひとつひとつ全てを、録音して書き起こしたいと思うほど、大切な言葉をいただきました。
この言葉たちを本にしていただけないかと、今これを書きながら思っています。
私たちはこういうことのために「絵本」を伝えているんだ、絵本講師と名乗らせてもらっているんだ。
あらためて、ボヤボヤしてちゃダメだ。今のお母さんたちに、子どものまわりの大人たちに伝えなければと、奮い立たせていただきました。
絵本に対する思いは引けをとらないほど強いのに、やはり「負けた」(勝ち負けじゃないけど)と感じるのは、本を作る現場に長年居られて、売れる売れない問題と戦いながらも、出版物を我が子のように守ってこられたからだと思いました。
字が声になることで伝わるものが、子どもの心にたくさんの幸せや楽しさを残し、それがいつか語られた思い出として蘇り次の世代に引き継がれていく。
そのことが、「紙の本」があって初めてなされることを教えてもらいました。
私たちはたった一人ずつのチッポケな絵本講師ですが、本を作る側の皆さんとタッグを組んで次世代の人のために働くのだと、大袈裟かも知れませんが大きな使命感を持たせていただきました。
千葉からご参加のふーちゃんより
『ちいさなメリーゴーランド』あたりからずっとぷるぷるしていました。
自然と涙が出てきてしまったのは、勿論マーシャブラウンの絵本の力もあるけれど、仲介者としてのみほ子さんの役割は大きいと思います。みほ子さんが作者の思いを汲み取っているからこそ、声になった言葉が力を持って伝わると思うし、作品の中の体験や感情を自分の中に取り入れて知っている人だからこそ、訴えるパワーが半端ないのだと思いました。
これを私は本物の言葉を使う人と、自分の中で言っています。
情緒で体験した人の言葉。
そして私が自分でも驚いたこと。
自分にもラジオのチューナーを合わせるように、みほ子さんのお話に頷きながら、とても良い状態で聞けたこと。
なんならBoseの高音質くらい心地よく増幅するかのごとく。
小さな人の尊厳を踏みにじらない、敬意を持つ方々は、よく育つ種を蒔いてくれるのだ、大人にさえも!と今、頑張って言語化するとこうなのだけど、この高鳴りをどうしたら言葉に出来るのかと思うととっても難しいです。
明日になって忘れてしまったら怖いから続けます。
『あおいジャッカル』にまつわる話も、時代背景や版画の色、マーシャさんとのやりとり、どこを切り取っても興味深いことばかり。
作家さんも訳者さんも編集さんもものすごい洞察と生み出すまでの努力があることをうかがってからと前の絵本に対する思いは断然違います。
格段に絵本が愛おしい。
何度も読むと違う意味が見えてくることがあるのも分かります。
絵本は深い。
けれど普遍的なものも含む。
受けとる側の成長に合わせて絵本も歩んでくれているかのようだと今だから分かります。
いき続けている絵本を感じます。
赤ちゃん絵本は大人になって開くとその時の思いが蘇り、閉じ込めた思いが溢れだすことも改めて思いだし、読み聞かせ係として奮い立つ思いにもなりました。
『ライオン』も帰ったらすぐに読み返したいです。
絵本の力を信じて挫折しながらも読み続けてみようと思います。
みほ子さんが蒔いてくれた種が胸にあるのだから、動いてみよう!と思えるのでした。

今回、井上さんは、マーシャ・ブラウン作の瑞雲舎の絵本を2冊、読んでくれたのですが、その「読み」の変化、違いにわたしはハッとしました。
明らかに違う。
先に読んでくれた絵本は、常に口角が上がっているような「読み」なのに
次の絵本は、のぶとく、低く、ずしんとした「読み」。
どうしたって、読むときに、同じ読み手でも絵本によって「読み」が変わる。
そりゃあ、そうですよね。
同じ作者の絵本だって、全然、違うんだから。言葉も絵も。
そりゃあ「読み」も変わる。
だからこそ、その1回1回、その場限りの「読み」の尊さを噛み締めました。
せっかく井上みほ子さんに小田原まで来ていただくので、せっかくだから、せめて足湯でも、と
展望足湯へご案内。
ちょうど藤棚の藤が咲いてて、小田原駅も見えて、小田原城も見えて、喜んでいただけてよかったです。
なんかね、みほ子さん、チャーミングで大好きなんです。
ぜひ、会ってほしいです。
みほ子さんに、レジュメのデータをくださいと言いましたら、レジュメはない、とのことでした。
レジュメの代わりに絵本がある。
紙の本がある。
そこに思いが詰まってる。
読んでみてって言える。

やはり、この世に「紙の本」として生み出してくださった皆さんへのリスペクトを大事に抱き、
その本を棚から取り出して
開いて
書いてある言葉を自分の声に変えて
ページをめくって
目の前の人に届ける
そのことを地道に続ける人が増えるといい、と思います。
そのための手助けや勇気づけやきっかけづくりなら、わたしでもできるかもしれない。絵本を作ることはできないけど。
そのわたしの思いを本に書きました。
『やってみる? 読み聞かせボランティア』です。
関連ブログ
瑞雲舎のブログ 詩「えらくなっちゃいけない」 やなせたかしさん
井上みほ子さんは瑞雲舎という児童書出版社の代表取締役です。
わたしが小田原で主催するのは3回目です。
今回は、広い会場が取れず、早々に満員御礼となりました。
無理やり増席してギリギリマックスでの開催でした。
キャンセル待ちしている方もいらっしゃいましたが、本当に誰一人キャンセルせず、熱気ムンムン、聞く気満々での開催となりました。

事前に、瑞雲舎の絵本の購入希望を募りまして、プラスアルファで50冊近く送ってもらっていたのですが、
華麗なる完売。
全然、足りなかった!
もっと多めに送ってもらえばよかったです。
そうだった、そうだった、井上みほ子さんは危険な人だったんだ。
お話を聞くと、どんどん絵本を買いたくなる危険な人。
どんどんどんどん絵本を買いたくなる。
そりゃあ、どこででも買えます。
その場でネットでポチッと買えます。
でも、今、ここで、買いたいんです。
このアツい気持ちのときに、買いたいんです。
すごくよくわかります。
申し訳ないけど、わたしも自分の分はキープしてました。
6冊。買いました。
1冊は、欲しいという方にお譲りしましたが、他のは、無理。
わたしの絵本。
今ここで欲しい。
井上さんのあの話を聞いたら、そうなるよね。
冒頭、井上さんは、やなせたかしさんの詩を2篇朗読してくださいました。
瑞雲舎のために作ってくれたこちらの本。
『あれはだれの歌』(やなせたかし 瑞雲舎 2005年12月)
アンパンマンでブレイクする前の作品です。
この中に収められている
「えらくなっちゃいけない」と「てのひらを太陽に」
もう、ここでわたしはグッときてまして、堪えてました。
何に、かはわかりません。
わかりませんが、込み上げてくる何かがありました。
「てのひらを太陽に」は歌いますよね。
歌として、歌っているときと、詩として朗読されて耳で聴くときでは、伝わるものが違うんだということがわかりました。
(以下引用)
ぼくらは みんな生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらは みんな生きている
生きているから かなしいんだ
(引用ここまで)
わたしは、好きなアーティストはCDを買います。
サブスクでも聞けるのですが、CDを買います。
なんでかって、歌詞カードがついているからです。
歌詞カードを読むのが好きなのです。
歌として聴くときは、メロディとして聞いてしまうのですが
歌詞カードを読むと、言葉をより深く味わえる気がするのです。
それに似てるかもって思いました。
歌としてではなく、詩として、言葉を味わう楽しさ。
この本は、カバーの袖のところに、やなせたかしさんの自筆の言葉が載っています。
(以下引用)
この本の企画を聞いた時、とてもびっくりした。
よくも悪くもこれはやなせたかしの
エキスでアンパンマンの血液みたいな本だ
と思った。
(引用ここまで)
「やなせたかしのエキスでアンパンマンの血液」
ですよ。
朝ドラ「あんぱん」と共におすすめの本です。
ちなみに、井上夫妻の結婚式の主賓だったそうですよ、やなせたかしさん。
冒頭に、なんだかノックアウトされたような気分になりました。
そこからもう畳み掛けるように、みほ子節が炸裂していき。
わたしが、今回、井上みほ子さんの講演会を企画したのは、とある展示の裏側のエピソードを聞きたかったからです。
自分一人で聞くんじゃなくて、わたしの周りの皆さんと一緒に聞きたいと思ったからです。
これはやっぱり、ここには書けないことでした。
井上みほ子さんは、お墓まで持っていくつもりだったそうです。

いただいたご感想を一部抜粋でご紹介します。
井上みほ子さんのお話、様々な方とのやり取りがギュッと詰まっていてあっという間に時間が過ぎていました。
やなせさんとのエピソード。「詩とメルヘン」の読者だった私には堪らないお話
大人と子どもの関係を『小僧の神様』と『ちいさなメリーゴーランド』で話された時、なぜか一番ぐっと来ました。
こういう大人になりたい!なっていない…これからでもなりたい!
日米の違いについての指摘もハッとさせられました。
「ありがとう」を子どもに言う機会を設けている、"察する文化"と"言わないと伝わらない"の違い、深い洞察力に感服でした。
広島の本屋さんでの話、店主の「お母さんが読んでください」文字を読んで聴くと言葉が立ち上がる(表現曖昧ですが大事な点)
本という「もの」で残す、「べらぼう」で里見浩太朗も言ってました。
私の仕事上(園文庫)、幼い子と保護者に接することが多いので今後も自信持って「ぜひ大人が読んであげてくださいね」と絵本を手渡そうと思いました。
上甲さん、いつも貴重な企画をありがとうございます。
おふたりに共通するのはきちんと想いを言語化出来るお力だと思います。
少しでもそうなりたいと思いました。
長野からご参加の清水 智恵子さんより
ひとつひとつ全てを、録音して書き起こしたいと思うほど、大切な言葉をいただきました。
この言葉たちを本にしていただけないかと、今これを書きながら思っています。
私たちはこういうことのために「絵本」を伝えているんだ、絵本講師と名乗らせてもらっているんだ。
あらためて、ボヤボヤしてちゃダメだ。今のお母さんたちに、子どものまわりの大人たちに伝えなければと、奮い立たせていただきました。
絵本に対する思いは引けをとらないほど強いのに、やはり「負けた」(勝ち負けじゃないけど)と感じるのは、本を作る現場に長年居られて、売れる売れない問題と戦いながらも、出版物を我が子のように守ってこられたからだと思いました。
字が声になることで伝わるものが、子どもの心にたくさんの幸せや楽しさを残し、それがいつか語られた思い出として蘇り次の世代に引き継がれていく。
そのことが、「紙の本」があって初めてなされることを教えてもらいました。
私たちはたった一人ずつのチッポケな絵本講師ですが、本を作る側の皆さんとタッグを組んで次世代の人のために働くのだと、大袈裟かも知れませんが大きな使命感を持たせていただきました。
千葉からご参加のふーちゃんより
『ちいさなメリーゴーランド』あたりからずっとぷるぷるしていました。
自然と涙が出てきてしまったのは、勿論マーシャブラウンの絵本の力もあるけれど、仲介者としてのみほ子さんの役割は大きいと思います。みほ子さんが作者の思いを汲み取っているからこそ、声になった言葉が力を持って伝わると思うし、作品の中の体験や感情を自分の中に取り入れて知っている人だからこそ、訴えるパワーが半端ないのだと思いました。
これを私は本物の言葉を使う人と、自分の中で言っています。
情緒で体験した人の言葉。
そして私が自分でも驚いたこと。
自分にもラジオのチューナーを合わせるように、みほ子さんのお話に頷きながら、とても良い状態で聞けたこと。
なんならBoseの高音質くらい心地よく増幅するかのごとく。
小さな人の尊厳を踏みにじらない、敬意を持つ方々は、よく育つ種を蒔いてくれるのだ、大人にさえも!と今、頑張って言語化するとこうなのだけど、この高鳴りをどうしたら言葉に出来るのかと思うととっても難しいです。
明日になって忘れてしまったら怖いから続けます。
『あおいジャッカル』にまつわる話も、時代背景や版画の色、マーシャさんとのやりとり、どこを切り取っても興味深いことばかり。
作家さんも訳者さんも編集さんもものすごい洞察と生み出すまでの努力があることをうかがってからと前の絵本に対する思いは断然違います。
格段に絵本が愛おしい。
何度も読むと違う意味が見えてくることがあるのも分かります。
絵本は深い。
けれど普遍的なものも含む。
受けとる側の成長に合わせて絵本も歩んでくれているかのようだと今だから分かります。
いき続けている絵本を感じます。
赤ちゃん絵本は大人になって開くとその時の思いが蘇り、閉じ込めた思いが溢れだすことも改めて思いだし、読み聞かせ係として奮い立つ思いにもなりました。
『ライオン』も帰ったらすぐに読み返したいです。
絵本の力を信じて挫折しながらも読み続けてみようと思います。
みほ子さんが蒔いてくれた種が胸にあるのだから、動いてみよう!と思えるのでした。

今回、井上さんは、マーシャ・ブラウン作の瑞雲舎の絵本を2冊、読んでくれたのですが、その「読み」の変化、違いにわたしはハッとしました。
明らかに違う。
先に読んでくれた絵本は、常に口角が上がっているような「読み」なのに
次の絵本は、のぶとく、低く、ずしんとした「読み」。
どうしたって、読むときに、同じ読み手でも絵本によって「読み」が変わる。
そりゃあ、そうですよね。
同じ作者の絵本だって、全然、違うんだから。言葉も絵も。
そりゃあ「読み」も変わる。
だからこそ、その1回1回、その場限りの「読み」の尊さを噛み締めました。
せっかく井上みほ子さんに小田原まで来ていただくので、せっかくだから、せめて足湯でも、と
展望足湯へご案内。
ちょうど藤棚の藤が咲いてて、小田原駅も見えて、小田原城も見えて、喜んでいただけてよかったです。
なんかね、みほ子さん、チャーミングで大好きなんです。
ぜひ、会ってほしいです。
みほ子さんに、レジュメのデータをくださいと言いましたら、レジュメはない、とのことでした。
レジュメの代わりに絵本がある。
紙の本がある。
そこに思いが詰まってる。
読んでみてって言える。

やはり、この世に「紙の本」として生み出してくださった皆さんへのリスペクトを大事に抱き、
その本を棚から取り出して
開いて
書いてある言葉を自分の声に変えて
ページをめくって
目の前の人に届ける
そのことを地道に続ける人が増えるといい、と思います。
そのための手助けや勇気づけやきっかけづくりなら、わたしでもできるかもしれない。絵本を作ることはできないけど。
そのわたしの思いを本に書きました。
『やってみる? 読み聞かせボランティア』です。
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瑞雲舎のブログ 詩「えらくなっちゃいけない」 やなせたかしさん