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「怖い絵本」にどう出会うか問題
「怖いお話」を子どもにどう出会ってもらうか
について考え続けています。
わたしの出会う保育園や学童や小学校の子どもたちは
圧倒的多数で「怖いお話」が好きな人が多いです。
「怖い絵本持ってきた?」と必ず聞かれます。
ただ、中には本気で怖がっている人もいます。
その場合、どうするのか。
また、親も我が子が怖がっているのに、怖がる絵本を無理やり読むのか。
そんなことについて考えています。
何が正解かはわからないけれど
こちらの本のこの部分。
『まなの本棚』
(芦田愛菜 小学館 2019年7月)
辻村深月さんと芦田愛菜ちゃんの対談のこの部分。
(以下引用)
(引用ここまで)
辻村深月さんと芦田愛菜ちゃんは
「怖い話」について話し始めていたけれど
つまりは、「本を読む」ってこと全体の話になっていったように受け取りました。
「現実は、目に見えるものだけではできていない」
「目の前の世界だけがすべてじゃない」
このことは、本に限らず
絵本でも感じることはできますよね。
でもって、わたしの考えでは、怖い話を本気で怖がる人って
その想像力が人一倍、たくましい人なんじゃないかなって。
怖い話の細部までリアルに想像できてしまう。
おしいれには本当にねずみばあさんがいるし
もしかしたら地下の世界につながっているかもしれない。
島に渡ると鬼が住んでいて
もしかしたら帰りの舟に一緒に乗ってきちゃうかもしれない。
夜遅くまで起きていると
「おばけにおなり」っておばけの世界に連れていかれちゃうかもしれない。
怖い。
怖い。
そんならもう、無理やり怖い話に出会う(出会わせる?)必要もないんじゃないかなあ。
そのたくましい想像力は違うお話を読むことに発揮してもらって。
今ならいけるかも。っていう時期を自分で見つけて
恐る恐る、こわごわ、
怖いお話に足を踏み入れる
そのときまで待つ。
そんな感じがいいのかなあって考えてます。
ただ1点、気がかりなのは
わたしみたいな
読み聞かせボランティアのおばちゃんが
おもむろに読んじゃう。
『ねないこだれだ』を読んじゃう。
怖いのに読んじゃう。
出会いたくないのに出会っちゃう。
そういう危険性は、今後もあり得るかもしれなくて。
それは絵本に限らず
映像とか写真とか音楽とか
いろんな怖いもの。
思いもよらぬときに、どんなふうに出会っちゃうかわからなくて。
そのとき、その怖さを一人で耐えられるかどうか。
もしくは安心安全な場にいるときかどうか。
人一倍、想像力のたくましい人は
人一倍、優しくて
人一倍、傷つきやすいくて
人一倍、繊細で、
生きづらくて。
そしたら、想像力なんか貧困でペラッペラで
無神経な人の方が生きやすいのかな
って考えると
そんな世の中はいやだ!
って心から思う。
みんながちょっとずつでも
想像力を働かせて
相手のことを考えて
優しさを持てる世の中がいい。
正解はわからないから
まだ考え続けるその経過報告でした。

【怖い絵本】
例のあの人が…なんの救いもない怖い絵本。幻の原画あり『きれいなはこ』
個々人の瞬間的で感覚的なものを視覚的で具体的に描く『こっそりどこかに』
時間の流れを自在に操るという不遜な領域に足を踏み入れている怖さ『まばたき』
1ページ目からまさかの大ウケ 次第にシンと静まりかえり『ねずみじょうど』
最悪の読後感 あまりの悲惨さに読む場を見つけられない『不幸な子供』
【読み聞かせプログラム例】春休みの学童保育所で30分 怖い絵本・科学絵本・犬の絵本
【メニュー】出張読み聞かせ
【著書】 『やってみる? 読み聞かせボランティア』(電子書籍&ペーパーバック)
【メニュー】読み聞かせボランティア入門講座 〜自分らしく、楽しく続けられる〜
について考え続けています。
わたしの出会う保育園や学童や小学校の子どもたちは
圧倒的多数で「怖いお話」が好きな人が多いです。
「怖い絵本持ってきた?」と必ず聞かれます。
ただ、中には本気で怖がっている人もいます。
その場合、どうするのか。
また、親も我が子が怖がっているのに、怖がる絵本を無理やり読むのか。
そんなことについて考えています。
何が正解かはわからないけれど
こちらの本のこの部分。
『まなの本棚』
(芦田愛菜 小学館 2019年7月)
辻村深月さんと芦田愛菜ちゃんの対談のこの部分。
(以下引用)
愛菜:怖い話についてはどうですか?
私、辻村さんのホラーも大好きなんです。(中略)
辻村さん:私も大好きな2編です。
ホラーの場合は、読み手をゾクゾクと怖がらせたいって気持ちがあるのと同時に、
ワクワクもしてもらいたいんです。
私は子供の頃からホラーとか「学校の怪談」が大好きだったんですが、
そういう物語に触れると「あの角を曲がったら、何か怖いものがいるかもしれない」って、
現実でも想像するようになりませんか?
愛菜:なります!
私、ものすごく怖がりなんです。
でも、絶対に怖いぞってわかっていても読んじゃうんです(笑い)。
辻村さん:そういう想像力って、
「世界は”ここ”だけじゃない」
「現実は、目に見えるものだけではできていない」という想像力につながっていると思うんです。
人が「現実がつらいな」って感じてしまう時に、助けてくれるのはそういう想像力なのかもしれない、と。
本の世界に入り込むのは「現実逃避」って言われちゃうこともあるかもしれないけど、
「目の前の世界だけがすべてじゃない」って教えてくれるのが本だと思うんです。
本は、むき出しの現実を生き抜くための心強い武器になります。
(引用ここまで)
辻村深月さんと芦田愛菜ちゃんは
「怖い話」について話し始めていたけれど
つまりは、「本を読む」ってこと全体の話になっていったように受け取りました。
「現実は、目に見えるものだけではできていない」
「目の前の世界だけがすべてじゃない」
このことは、本に限らず
絵本でも感じることはできますよね。
でもって、わたしの考えでは、怖い話を本気で怖がる人って
その想像力が人一倍、たくましい人なんじゃないかなって。
怖い話の細部までリアルに想像できてしまう。
おしいれには本当にねずみばあさんがいるし
もしかしたら地下の世界につながっているかもしれない。
島に渡ると鬼が住んでいて
もしかしたら帰りの舟に一緒に乗ってきちゃうかもしれない。
夜遅くまで起きていると
「おばけにおなり」っておばけの世界に連れていかれちゃうかもしれない。
怖い。
怖い。
そんならもう、無理やり怖い話に出会う(出会わせる?)必要もないんじゃないかなあ。
そのたくましい想像力は違うお話を読むことに発揮してもらって。
今ならいけるかも。っていう時期を自分で見つけて
恐る恐る、こわごわ、
怖いお話に足を踏み入れる
そのときまで待つ。
そんな感じがいいのかなあって考えてます。
ただ1点、気がかりなのは
わたしみたいな
読み聞かせボランティアのおばちゃんが
おもむろに読んじゃう。
『ねないこだれだ』を読んじゃう。
怖いのに読んじゃう。
出会いたくないのに出会っちゃう。
そういう危険性は、今後もあり得るかもしれなくて。
それは絵本に限らず
映像とか写真とか音楽とか
いろんな怖いもの。
思いもよらぬときに、どんなふうに出会っちゃうかわからなくて。
そのとき、その怖さを一人で耐えられるかどうか。
もしくは安心安全な場にいるときかどうか。
人一倍、想像力のたくましい人は
人一倍、優しくて
人一倍、傷つきやすいくて
人一倍、繊細で、
生きづらくて。
そしたら、想像力なんか貧困でペラッペラで
無神経な人の方が生きやすいのかな
って考えると
そんな世の中はいやだ!
って心から思う。
みんながちょっとずつでも
想像力を働かせて
相手のことを考えて
優しさを持てる世の中がいい。
正解はわからないから
まだ考え続けるその経過報告でした。

【怖い絵本】
例のあの人が…なんの救いもない怖い絵本。幻の原画あり『きれいなはこ』
個々人の瞬間的で感覚的なものを視覚的で具体的に描く『こっそりどこかに』
時間の流れを自在に操るという不遜な領域に足を踏み入れている怖さ『まばたき』
1ページ目からまさかの大ウケ 次第にシンと静まりかえり『ねずみじょうど』
最悪の読後感 あまりの悲惨さに読む場を見つけられない『不幸な子供』
【読み聞かせプログラム例】春休みの学童保育所で30分 怖い絵本・科学絵本・犬の絵本
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